一般財団法人 貝原守一医学振興財団

年  譜

貝原守一を語る

桝屋 冨一

杉山 浩太郎

野村 太郎

井上 忠

 

 


明治44年 (1911)
10月30日、父松壽・母リウの二男として、大牟田市に生まれる(兄1人、姉4人の末っ子)。
大正7年(1918)
7歳
大牟田市第五大牟田尋常小学校に入学。
大正10年 (1921)
10歳
福岡市当仁尋常小学校へ転校。
大正13年(1924)
13歳
4月、福岡県中学修猷館(現・福岡県立修猷館高校)に入学。
昭和3年(1928)
17歳
3月、本来中学は5年制であるが、成績優秀につき4年修業で修猷館を卒業。4月、第五高等学校に入学。
昭和6年(1931)
20歳
3月13日、第五高等学校を卒業。4月1日、九州帝国大学医学部に入学。入学祝いにタイプライターと顕微鏡を買ってもらう。
昭和10年(1935)
24歳
3月31日、同大学医学部学士試験に合格。4月13日、医学部附属医院の医員を嘱託され、武谷内科勤務を命ぜられる。4月22日、医学部副手を嘱託され、同学部第二内科教室勤務を命ぜられる。
昭和11年(1936)
25歳
4月4日、願いにより医員嘱託を解かれる。4月9日、第二内科教室勤務を免ぜられ、細菌学教室勤務を命ぜられる。
昭和12年(1937)
26歳
11月30日、医学部副手嘱託を解かれ、助手を任ぜられる。同日6級俸を給せられ、医学部細菌学教室勤務を命ぜられる。12月13日、同学部附属医院防疫附属医員を命ぜられる。
昭和11、12年に次の研究を発表する。『Poomanのacidophil,alcoholophil なる語の可否(抗酸性菌の染色機転に関する研究其一)』(東京医事新誌第3009巻)、『輓近に於けるヴィタミンCの細菌学及び免疫学上の応用に関する知見』(九大医報第10巻)、『喀痰中の結核菌染色用新脱色剤の紹介』(東京医事新誌第3025巻)、『1−Askorbinsaureの実験的結核に及ほす影響〈第一報〉』(結核第15巻)。

昭和13年(1938)

27歳
1月10日、細菌学教室の図書取り扱いを命ぜられる。この年、『百日咳菌(動物型)の鞭毛の証明』(東京医事新誌第3069巻)、『細菌の鞭毛染色に就て』(九大医報第12巻)、『幼若動物の人型結核菌及びBCGに対する感受性に就て』(東京医事新誌第3109巻)、『最近に於けるBCG殊にその人体接種に関するフランス語文献に就て』(実地医家と臨床第15巻)、川口弘と『脾臓摘出動物に於ける実験的結核』(東京医事新誌第3113巻)を発表。

昭和14年(1939)

28歳
3月15日、昭和14年医学部入学志願者の身体検査委員を嘱託せられる。3月16日、細菌学教室の図書取り扱いを免ぜられる。12月9日、職務勉励に付き手当金60円、賞与94円を給与される。12月28日、細菌学教室主任を命ぜられる。この年、『Geisselfarbung aus alter Bacterienkultur Zentralblatt fur Bacteriologie,Parasitenkunde und Infectionskrankheiten.』(l Abt.0riginale,Bd.142)、『新細菌濾過装置による細菌濾過実験』(東京医事新誌第3122巻)、『l-Askorbinsaureの実験的結核に及ぼす影響〈第二報〉実験的幼若「モルモット」結核に及ぼす影響』(結核第17巻)、『l-Askorbinsaureの実験的結核に及ぼす影響〈第三報〉「モルモット」臓器のVitaminC含有量と実験的結核との関係』(東京医事新報第17巻)『電子顕微鏡とその細菌学に於ける応用』(九大医報第13巻)、戸田忠雄、占部薫、吉田長之、中川洋、吉田欽二、山田倫子、佐多保之、村田正夫、工藤友太郎、若菜秋三、上城秀三と『ツベルクリン反応の統計表(特掲)〈其ノ一〉北九州と熊本市に於ける集団生活者』(結核第17巻)を発表。

昭和15年(1940)

29歳
6月28日、職務勉励に付き臨時賞与45円を与えられる。この年、『結核菌の染色法に就て』(日本臨床結核第1巻)、佐田保之と『Effect de l,immunisation concentree avec le BCG dans Ia preimmunition autituberculose chez le cobaye』(Comptes Rendus de la Societe de Biologie 1939,T.130)を発表。

昭和16年(1941)

30歳

3月、石田家より貝原家へ入籍。3月31日、臨時附属医学専門部講師の手当金として330円を給される。12月16日、医学部講師を命ぜられる。この年、中川洋と『日本製Colloidinに依る限外濾過膜に就て』(日本医学及健康保険第3221巻)、『細菌学における蛋白質の問題』(九大医報第15巻)を発表。

昭和I7年(1942)

31歳
4月20日、医学部助教授を命ぜられる。この年、杉山浩太郎とTetrabromphenoIpnthaleinathylenester−Karium蛋白質定性反応の細菌学領域に於ける応用に就て』(日本医学及健康保険第3267巻)、杉山浩太郎と『培地成分の変化とツベルクリン活性』(日本臨床結核第3巻)、高木篤と『化学反応によるツベルクリンの力価検定』(日本医学及健康保険第3307巻)、『ツベルクリン活性因子の研究に関する問題』(医事公論第1571巻)を発表。

昭和18年(1943)

32歳
この年、戸田忠雄、杉山浩太郎と『ツベルクリン活性因子の研究〈其の10〉培地成分の変化とツベルクリン活性』(日本医学及健康保険第3326巻)、『ツベルクリン活性について』(日新医学第32巻)、『ツベルクリン活性の研究に於けるその後の問題』(医事公論第1592巻)、戸田忠雄、中川洋、杉山浩太郎、種村等と『ツベルクリン活性因子の研究〈そのll〉精製ツベルクリン蛋白の研究』(日本医学及健康保険第3328巻)、『ツベルクリン本態に関する研究〈第1編〉実験総説(福岡医学雑誌第36巻)、杉山浩太郎と同〈第2編〉培地成分の変化とツベルクリン活性因子との関係』(同)、中川洋、杉山浩太郎と『同〈第3編〉ツベルクリン蛋白質殊に精製ツベルクリン蛋白質に就て』(同)、種村等と『同〈第4編〉活性因子の紫外線吸収スペクトルに就て』(同)、『ウイルス学総論〈l.2.3〉』(九大医報第17巻)を発表。
9月、『細菌の歴史』(創元社)、11月『貝原益軒養生訓・校註(惇信堂)刊行。

昭和19年(1944)

33歳

この年、戸田忠雄、杉山浩太郎、山田倫子、高木篤と『ツベルクリン活性国子の研究〈其のll〉無蛋白ツベルクリンのツ反応に於ける応用」(臨床と研究第21巻)、中川洋、杉山浩太郎と『人工的に高分子化し得たと考えられるツベルクリンについて』(日本医学第3370巻)、『ウィルス学総論〈4.5.6〉』(九大医報第18巻)、高木篤と『ツベルクリン活性から見た結核菌成分と培養濾液との関係』(日本医学第3371巻)、伊達正弘と『メタノールによるヂフテリー毒素からのモロニー反応抗原の分離と毒素の精製』(日本医学第3396巷)、伊達正弘と『モロニ一反応を呈するヂフテリー毒素とヂフテリー菌体成分とのメタノール可溶性物質』(日本医学第3397巻)を発表。12月24日、インドネシア・バンドン防疫研究所の陸軍技師に空路赴任途中、フィリピン・リンガエン附近において敵機の攻撃を受け戦死(享年33歳)。

昭和21年
高木篤との『簡単な電気透析法によるツベルクリンの精製』が日本医学第3400巻に、山田倫子との『BCGツベルクリンの特異性(l)』が日本医学第3405巻に、高木篤、山田倫子との『BCGツベルクリンの特異性(2)精製BCGツベルクリン蛋白質』が日本医学第3407巻に発表される。
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