一般財団法人 貝原守一医学振興財団

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貝原守一を語る

桝屋 冨一

杉山 浩太郎

野村 太郎

井上 忠

 人間と細菌の関わりは、人類の歴史とともに始まったと考えられる。細菌は広く自然界に分布し、空気中・地中・水中をはじめ動植物の内部や表面、鉱物の表面に生存する。
 結核菌、赤痢菌、ぶどう球菌、チフス菌、ジフテリア菌、乳酸菌…。現在知られている細菌は約1000種。 病原菌は、人間社会に伝染病の流行をしばしばもたらした。
 一方、酵母菌などは食品の製造に利用されてきた。
 
ギリシャのヒポクラテス以来、肉眼で見えない小さな生物の存在は想像されていたが、細菌が確認されたのは17世紀後半で、オランダのレーウェンフックが自製の顕微鏡で細菌、酵母などを発見。19世紀後半にはフランスのパスツールが殺菌法と無菌培養法を開発した。
 そして20世紀に入るまでの4半世紀の間に、結核菌の発見(コツホ、1882)、コレラ菌の発見(コツホ、1883)、チフス菌の純粋培養の成功(ガフキー、1884)、破傷風菌の純粋培養の成功(北里柴三郎、1889)、ペスト菌の発見(イェルサン、1894)など多数の病原細菌が相次いで明らかになった。20世紀に入ると病原細菌に対する化学療法剤や抗生物質が生み出され、医細菌学は著しく発展した。
 現在、九州大学医学部微生物学教室は細菌学講座とウイルス学講座より成るが、細菌学講座が創設されたのは大正12年(1923)1月24日、衛生学第二講座教授で主に細菌学を担当していた小川政修が初代教授に就任した。
 昭和6年(1931)4月、石田(のちの貝原)守一は医学部に入学する。小川教授は昭和10年(1935)9月定年退官し、昭和11年(1936)3月、満州医科大学から戸田忠雄が第2代教授として着任する。守一は戸田教授の指導のもと勉学に励み、研究を重ね、その成果を単独で、また共同で次々と発表。昭和17年(1942)4月には医学部助教授を命じられる。
 『九州大学五十年史(上)』(昭和42年11月15日発行)に、「貝原助教授は、すでに精製ツベルクリンの歴史その他にすぐれた業績をあげ、著書『細菌の歴史』によっても知られていた俊才であったが、太平洋戦争中JawaのPasteur研究所員として赴任の途中惜しくも戦死した。また、この間戸田教授の指導を受けたものは二百数十名にのぼり…」とある。のちに教授になった占部薫、吉田長之、中川洋、杉山浩太郎、高木篤らは守一が共に学んだ人たちである。
 今、社会は高齢化が進む中、これら先達につづき、人間の未来を真剣に考える優秀な人たちが医学界に身を投じることを期待している。

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